更新日:2022/05/04
青空に鯉のぼりが泳ぎ出すこの季節。5月5日は男の子の成長を祝う「端午の節句」です。なぜ、この日が男の子の成長を祝う日であるのか、そしてなぜ鯉のぼりを掲げるようになったのか、皆さんは知っていますか?
「端」は「はじめ」という意味を持ち、「端午」は月初めの午(うま)の日を表します。そのため、もともとは5月に限ったことではありませんでした。しかし、「午(ご)」と「五(ご)」の音が同じことや、数を重ねることを重んじることから奈良時代以降、5月5日が端午の節句として定着して行きました。季節の変わり目である旧暦の5月は、高温多湿で伝染病や害虫に悩まされる時期にあたります。そのため、薬効に優れた菖蒲(しょうぶ)を軒先に飾ったり、菖蒲湯に浸かることで、無病息災を願っていました。このように、古くは病気や災厄をさけるための行事であった端午の節句。江戸時代になると菖蒲が「尚武(武道や武勇を重んじること)」や「勝負」という言葉に通じることから、現在と同じ、男の子を祝う日になりました。
先ほどもご紹介した通り、端午の節句には菖蒲がよく用いられ、「菖蒲の節句」とも呼ばれています。なぜ、菖蒲なのかというと、菖蒲がもつ強い香りや薬効が邪気払いや魔除けに効くと考えられていたからです。この香りは、「テルペン」などの香気成分によるものです。血行促進や疲労回復、リラックス効果に期待できるので、端午の節句には家族みんなで菖蒲湯を楽しみたいですね。また、菖蒲の根を乾燥させたものを漢方で「菖蒲根」といい、健胃や鎮静効果があります。ちなみに、紫の花を咲かせる「花菖蒲」もこの時期の花ですが、ここでお話ししている菖蒲とは異なります。端午の節句をお祝いするときは、気をつけて購入してくださいね。
■鯉のぼり日本では武家に男の子が生まれると、のぼりを立てて祝う風習があり、それを見た江戸の町人の間で鯉のぼりが掲げられるようになりました。その当時は真鯉(まごい)だけでしたが、明治時代になると緋鯉(ひごい)が、昭和になると子鯉が立てられるようになりました。「緋鯉=お母さん」というイメージがありますが、子鯉が登場するまで「緋鯉=子ども」でお母さん鯉がいなかったとか?鯉のぼり=家族と考えられている現代と昔では、考え方がちょっと違ったのですね。また、「滝を登り切った鯉は竜になる」という中国の故事から鯉は出世の象徴とも考えられています。
■五月人形古来より人形は、人の災いを引き受けてくれるものとされていました。五月人形もそのひとつで、子どもの開運と成長を願って飾ります。また、武将が身につけたものを飾り、同じように勇ましくという願いを込めることもあるようです。
■粽(ちまき)甘味をつけた餅を笹の葉で円すい形に包み、蒸し上げたものです。もとはチガヤ(茅)という植物の葉で巻いていたため、茅巻き(ちまき)と呼ばれるようになったとも言われています。ちまきを食べる風習は中国の故事に由来し、子どもの健やかな健康と厄除けの願いが込められています。
■柏餅上新粉で作った餅であんをくるみ、柏の葉で包んだ和菓子です。柏の木の葉は、新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、「家系(跡継ぎ)が途絶えない」、さらには「子孫繁栄」と結びつき、縁起のよい食べ物として江戸時代ころから端午の節句に供えるようになったと言われています。また、餅をあんで包む手が神を拝むときに打つ「柏手(かしわで)」に似ていることも節句菓子として食べられるようになった一因とされています。当初は味噌あんや塩あんが主流でしたが、現在は小豆あん(こしあん)で作られているものが多くなっています。
昔は、五節句すべてが式日(祝日)でしたが、新暦になってからすべて廃止されました。そうなると「なぜ、5月5日は祝日のままなの?」と思われる方もいると思います。戦後、日本の祝日を増やすときに、3月3日の上巳の節句(桃の節句・ひなまつり)と5月5日の端午の節句も祝日にしようという案が出たそうです。そこから議論の結果、5月5日は「こどもの日」として、男の子も女の子も関係なくお祝いする日、そしてお母さんに感謝をする日として祝日になりました。なので、同じ日ではありますが、端午の節句が祝日になったわけではなく、新たな祝日が設けられたのです。
この日は、こどもの日であり、端午の節句でもあります。お子さんの健やかな成長を願い、今年1年も素敵な年にしましょう。
青空に鯉のぼりが泳ぎ出すこの季節。5月5日は男の子の成長を祝う「端午の節句」です。なぜ、この日が男の子の成長を祝う日であるのか、そしてなぜ鯉のぼりを掲げるようになったのか、皆さんは知っていますか?
【なぜ、「端午」の節句?】
「端」は「はじめ」という意味を持ち、「端午」は月初めの午(うま)の日を表します。そのため、もともとは5月に限ったことではありませんでした。しかし、「午(ご)」と「五(ご)」の音が同じことや、数を重ねることを重んじることから奈良時代以降、5月5日が端午の節句として定着して行きました。
季節の変わり目である旧暦の5月は、高温多湿で伝染病や害虫に悩まされる時期にあたります。そのため、薬効に優れた菖蒲(しょうぶ)を軒先に飾ったり、菖蒲湯に浸かることで、無病息災を願っていました。
このように、古くは病気や災厄をさけるための行事であった端午の節句。江戸時代になると菖蒲が「尚武(武道や武勇を重んじること)」や「勝負」という言葉に通じることから、現在と同じ、男の子を祝う日になりました。
【菖蒲(しょうぶ)が用いられる理由】
先ほどもご紹介した通り、端午の節句には菖蒲がよく用いられ、「菖蒲の節句」とも呼ばれています。なぜ、菖蒲なのかというと、菖蒲がもつ強い香りや薬効が邪気払いや魔除けに効くと考えられていたからです。この香りは、「テルペン」などの香気成分によるものです。血行促進や疲労回復、リラックス効果に期待できるので、端午の節句には家族みんなで菖蒲湯を楽しみたいですね。また、菖蒲の根を乾燥させたものを漢方で「菖蒲根」といい、健胃や鎮静効果があります。
ちなみに、紫の花を咲かせる「花菖蒲」もこの時期の花ですが、ここでお話ししている菖蒲とは異なります。端午の節句をお祝いするときは、気をつけて購入してくださいね。
【端午の節句に欠かせないもの】
■鯉のぼり
日本では武家に男の子が生まれると、のぼりを立てて祝う風習があり、それを見た江戸の町人の間で鯉のぼりが掲げられるようになりました。その当時は真鯉(まごい)だけでしたが、明治時代になると緋鯉(ひごい)が、昭和になると子鯉が立てられるようになりました。「緋鯉=お母さん」というイメージがありますが、子鯉が登場するまで「緋鯉=子ども」でお母さん鯉がいなかったとか?鯉のぼり=家族と考えられている現代と昔では、考え方がちょっと違ったのですね。また、「滝を登り切った鯉は竜になる」という中国の故事から鯉は出世の象徴とも考えられています。
■五月人形
古来より人形は、人の災いを引き受けてくれるものとされていました。五月人形もそのひとつで、子どもの開運と成長を願って飾ります。また、武将が身につけたものを飾り、同じように勇ましくという願いを込めることもあるようです。
■粽(ちまき)
甘味をつけた餅を笹の葉で円すい形に包み、蒸し上げたものです。もとはチガヤ(茅)という植物の葉で巻いていたため、茅巻き(ちまき)と呼ばれるようになったとも言われています。ちまきを食べる風習は中国の故事に由来し、子どもの健やかな健康と厄除けの願いが込められています。
■柏餅
上新粉で作った餅であんをくるみ、柏の葉で包んだ和菓子です。柏の木の葉は、新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、「家系(跡継ぎ)が途絶えない」、さらには「子孫繁栄」と結びつき、縁起のよい食べ物として江戸時代ころから端午の節句に供えるようになったと言われています。また、餅をあんで包む手が神を拝むときに打つ「柏手(かしわで)」に似ていることも節句菓子として食べられるようになった一因とされています。当初は味噌あんや塩あんが主流でしたが、現在は小豆あん(こしあん)で作られているものが多くなっています。
【「こどもの日」とは何が違うの?】
昔は、五節句すべてが式日(祝日)でしたが、新暦になってからすべて廃止されました。そうなると「なぜ、5月5日は祝日のままなの?」と思われる方もいると思います。
戦後、日本の祝日を増やすときに、3月3日の上巳の節句(桃の節句・ひなまつり)と5月5日の端午の節句も祝日にしようという案が出たそうです。そこから議論の結果、5月5日は「こどもの日」として、男の子も女の子も関係なくお祝いする日、そしてお母さんに感謝をする日として祝日になりました。なので、同じ日ではありますが、端午の節句が祝日になったわけではなく、新たな祝日が設けられたのです。
この日は、こどもの日であり、端午の節句でもあります。
お子さんの健やかな成長を願い、今年1年も素敵な年にしましょう。